« 何が“権利”なのか | トップページ | 春眠暁を忘れた »

2015年4月16日 (木)

働くという、意義

まぁ今更いうまでもないことですが、
自分、サラリーマンであり、労働者であり、給与所得者という立場に、います。
 
 
今月から本格的に、職場でとっても問題のある大改革が、おこった。
なにかといいますと、
 
Tayoreru
給与明細の、電子化。
 
ひょっとしたら、大手企業ではすでに当たり前のことなのかもしれませんが、「株式会社で資本金1000万円」という超ギリギリの零細企業にとっては、これはかなり、おおきいこと。
 
 
半ば一方的に「これやりますから!」と通知が来てしまったので、逆らうこともできなかったのですが、
これ、かなり、問題ありません??
 
 
労働者というのは、「労働」を売って、その対価で「給与」をいただく。
立場変えれば、経営者は被雇用者から労働を「買っている」ということ。
そういう中で、労使関係が、成り立っている。
 
だから、昔は給与は現金で直接渡され、各家庭の生活や潤いの足しになる実感が、ありました。
子供の頃、給料日には父上から「ドサっ!(と表現するほどのレベルではないですが)」と現金が入った給与袋が渡され、コドモごころに「働くって、こういうことなのかなぁ。」と感じていた。
 
 
それが、今は、
銀行振込が当たり前になり、薄っぺらい給与明細だけが渡されるように。
自身も入社以来、それです。
 
 
でも、約5年間務めた前職場での経験。
給与明細を部下やパートさんに渡す役目も持っていたので、自分のルールとして、これだけはかたくなに守り通した。
 
「相手に直接、正面を向いて、『お疲れ様です。』と言葉をそえて、両手で給与明細を渡す。』
給料日、渡そうとしたときに相手が不在のときは、戻ってくるまで待って、ちゃんと手渡しする。
せめてもの、部下やパートさんへの感謝のために。

他部署の上司・所属長は自分の知る限り、一切それをしなかった。
途中、幹部候補として中途採用で入社してきた人からは「いい心がけだね。」と褒められながらも、「それが当たり前なんだけどね。」と、会社の全体のその雰囲気を不思議がっていたのも思い出す。
 
 
ちなみに、現部署に移ってから、
上司は単に片手でホイ、です。
離席しているときは机上に置かれたまま。
 
今月の給与から、それすら、なくなってしまった。
15日(民間企業ですが、ウチは15日なんです)になると、誰にも気づかれずに、口座に振り込まれている。
 
 
やっぱり、おかしいですよね。
カタチだけでも社交辞令でもメールでもなんでもいいから、ここは社長から、なんらかのメッセージを送るべき。
でも、労働を提供する側にとっても、「単に効率が」とか「コストが」の理由だけで、ここまでさせてしまったことにも問題は、ある。
 
 
政治のアレじゃないですが、
どちらかが悪いの問題ではなく、国民が知らぬ間に徐々に「モノ言う」立場を奪われつつある中(ナントカキミツ法とか、最近のマスコミへの口出しなんか、いい例ですね)、会社組織の中でも、労働者は「働け!」と言われて終わらされそうな気が。
国と企業、レベルは違えどちょっと同じ方向を向いているような気がして、ならないんです。
このままでいくと、ほんとうにどうなってしまうのか。
酸いも甘いも知らず、ありがたみを忘れ、ただの無能なモルモットに成り下がってしまいそうで。。。 
 
 
それはともかく、別の問題も。
ウチの会社、高齢者パートを積極的に雇っているのもあるのですが、
この給与明細システム、PC/スマホ/ガラケーと対応はしていますが、
その高齢者の方々、パソコンはともかく、携帯電話すらちゃんと扱えるのかなぁ??
 
その方々の家庭、とくに奥様のことが、よけいに心配になってきます。。。

|

« 何が“権利”なのか | トップページ | 春眠暁を忘れた »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111223/61449700

この記事へのトラックバック一覧です: 働くという、意義:

« 何が“権利”なのか | トップページ | 春眠暁を忘れた »